FC2ブログ
2010年6月に海南市のアマチュア劇団として誕生した“KCM”和歌山にゆかりのある作品を中心に海南から発信できる舞台作りを目指して活動しています。これは、そんな劇団員たちの日々を綴ったDiaryです。
2020/08«│ 2020/09| 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 »2020/10
文字色の変化のON/OFFが出来ます。文字サイズ文字サイズ:大文字サイズ:中文字サイズ:小
09:23:03
   

劇団KCM代表の東さんがこの度、ブログを開設されました(^_^)/

以前から、個人のブログを作りたいと仰っていたのですが、

ついにオープンとなりました!!

東さんが手がけているアリスの会や熊野古道歩こう会、

海南・万葉の会のことなど

写真や文章でつづられた素敵なブログとなっております☆

皆さんもぜひ、チェックしてみて下さいね(^^♪

 ブログはこちらからどうぞ→東 道のきのくに花街道

スポンサーサイト




Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
10:36:32
2-5.jpg

日限さんの後方の山から隣接する寺の墓地を抜けると、うっそうとした竹林の中に突然「祓戸神社の趾」と刻まれた大きな石碑にであう。ここが祓戸王子址である。
 今はこの石碑以外は何も残っていないが、この周辺の竹林の中に無数の石仏がひっそりと佇み、時が止まったかのような錯覚を覚える空間がある。参加者の一人は「この近くに住んでいるがここにこんな石碑があるとは知らなかった。来て良かった」と云っておられた。
 祓戸王子址から藤代坂へ続く竹林の中の石仏を見て歩きながらしばし古道の雰囲気にひたる。峠を下ると藤白神社も近い。この辺りは、かつては質のよい藤代墨の産地であった。
 民家が並ぶ古道を歩く。右手の林の中に鈴木邸が建つ。全国鈴木姓のルーツと言われる鈴木屋敷であるが、いまは荒廃し再建を願うのみである。
 いにしえ、上皇たちがこの屋敷の庭の曲水池で歌会を催した。その時の歌が熊野懐紙として残る。林をぬけると藤白神社の大きな楠が私たちを迎えてくれた。
 このあと、有間皇子の墓と万葉歌碑をみる。
 私(東)は午後からの祭礼のあとの催しの準備があるのでここで失礼したが、一行は少し時間があったので峠へ行ったと、同行の市川さんが報告してくれた。
 この日のスタッフは土佐会長と市川さん。神社境内には吉田起子さん、谷畑冨代さん、そして神社の氏子さん達だ。
 午後1時から祭礼が始まり、続いて海南文化協会の唐津麻貴子さんの司会で万葉朗誦会が始まった。中道功さんが代表の紫泉会と海南万葉の会有志による朗誦会に、万葉衣装を着た人たちが参加し華やかな雰囲気が盛り上がる。

2-6.jpg

前日の11月10日、御坊市教育委員会主催の「有間皇子と宮子姫」をテーマにした催しがあり、紀伊万葉ネットワークとの共催で全国から万葉愛好家が多数集まった。夜の親睦会では東京、奈良、新潟など遠くからの参加者も多く、バスでこの「有間皇子まつり」にも参加。午後からかなりの雨量であったが、最後まで傘をさして熱心に見ていただいた。 
 「一昨年開催のミュージカル“有間皇子”を見たかったです」とのお声をお聞きした。全国に万葉愛好家が多く、有間皇子まつりが今後も発展することを期待したい。
 朗誦会のあとは劇団KCMの歌と踊りの出番である。この日のために新しく有間皇子の踊りとナレーション、新しいナンバーの稽古を続けた。ミュージカル“小栗判官ものがたり”と同時進行である。劇団員たちも、演出、振付のRi-yaさんも8月末から毎週土日は稽古が続いた。あいにくの雨であったが最後まで見て下さった方々には感謝の気持ちをこめて、誠一杯踊らせていただいた。本当に有難い限りである。

2-7.jpg

 今年3回目の「ウオーク万葉&ミュージカル」と「2012有間皇子まつり」が幕を閉じました。この催しの開催に当り、ご協賛いただいた財団法人大桑文化教育振興財団様はじめ、協賛、後援、協力いただいた各団体様、当日お手伝い頂いたスタッフさん、実行委員の皆様、そしてご参加いただいた皆様方に心から感謝申し上げます。有難うございました。

                                  東  道

Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
10:33:23
続いて、有間皇子まつりとかいなんの道ウォークの活動報告です!

2-1.jpg

11月11日、有間皇子まつりの日にあわせて海南万葉の会主催、熊野古道かいなんの道ウオークを実施した。午前8時30分、JR海南駅にウオーカー達が集まる。あいにくの雨、それもかなりの雨量であるが、結構若い人が多かったのは、日曜日であったからと思われる。「以前から熊野古道には興味を持っていたんですよ」と若い女性が歩きながら話してくれた。熱心に写真とメモをとっている。
 今日は外注の語り部さんではなく、劇団KCM代表と海南万葉の会事務局兼務の東がこれまでライフワークとして20数年、熊野古道の語り部を務めた経験から、自らガイドを申し出たという次第である。
 JR海南駅を9時にスタートし、旧野上鉄道の美しい生活道を東に向かうと井田あたりで熊野古道と交差している。春日山の西麓に並ぶ六地蔵に手をあわせ山中へ。

しばらく上れば山の斜面に沿ったなだらかな狭い道が続く。右手下に大野中の民家をみながら数百㍍歩くと松代王子に着く。
 院政時代、後鳥羽院に随行した藤原定家の旅日記『御幸記』に、この辺りで音曲をかなでる盲目の女性にであったとの記載がみられる。つまりは放浪のミュージシャンか?東北の瞽女(ごぜ)かもしれない。平安時代、皇族たちの熊野参詣が盛んであった頃から、熊野は不治の病の人たちが来世の幸せを願って歩いた道であった。小栗判官が餓鬼阿弥姿(がきあみすがた)で蘇生し、人目を避けて歩いたように。熊野は黄泉国(死後の世界)と現世の人の魂がふれあう道だと信じられていた。

2-2.jpg

松代王子から続く低い山の尾根づたいの道を歩き、民家をぬけて春日神社へ。長い階段をのぼると山頂に広い境内と神社が建つ。 
 この社の本殿は北むきに建つ。つまり拝殿から南をむいて拝むことになる。熊野古道沿いには南の熊野三山を遥拝する方向にむけて建つ神社が多い。この社は南北朝時代、大塔宮護良親王がここを訪れ、新年をむかえた伝説がある。また、神社を囲む春日の森は古くから多くの樹木が生育し、海南市指定文化財、天然記念物に指定されている。
 春日の森を後にし海南高校の西門脇を通り、日方川をこえて旧野上鉄道の春日前駅へ。今も往時の面影をのこす桜の古木が残る。

2-3.jpg

 自動車道を横切りさらに南へ歩く。蓮華寺あたりから古道は急に狭くなっている。更に数百㍍歩くと、道路左手に菩提房王子の標識があり、一坪ほどの狭い敷地に小さな石仏と五輪塔らしきものが数基並ぶ。菩提房王子の旧址がどこにあったのか今では判らなくなったという。
 藤白山から続く長峰山脈を前方に見ながら古道は西にゆるやかにカーブしている。更に歩くこと約2キロ、鳥居の地名はこの辺りに大きな鳥居があったことに由来するらしい。道路左手に広い敷地(駐車場)があり、立派な石段が目にはいる。日限さんへの上り口だ。階段をのぼると広い境内がひらけ、奥のほうに大きな地蔵と、本堂が建つ。本堂の前には寺の名にふさわしく山の斜面をおおうように地蔵がズラリ並んでいる。同じ形の地蔵がこれだけの数並ぶのは全国でも珍しいようだ。日を限って願いごとをすれば叶うという信仰があり、かつては全国各地から多くの仏像が寄進されていたが、今ではすっかり新しくなり、往時のおもかげは無くなったが。

お地蔵さまが並ぶ左脇の道をぬけて後方の山へ向かう途中に古い供養塔が建つ。山名修理太夫義理(よしとし)の供養塔だと説明版に記載がある。永和4年(1378)、足利義満は山名義理を紀伊国の守護職に任じた。山名義理は紀伊国の守護所を和歌山市から大野の地に移し、その後大野は紀伊国の政治の中心地となる。しかし、足利兄弟の争いに巻き込まれ、明徳2年(1391)大内義弘に攻められ敗走したという。
 地元の伝説では藤代峠の頂きにある和歌山県でも3大供養塔といわれる塔が、山名義理の供養塔という説がある。そこで自害したという説、海上に逃れ由良の興国寺で自害したという説などが伝わる。


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
10:26:10
1-9.jpg

自他共に認める万葉博士というべき馬場、山元両先生がたが開口一番に出たのが「ヤドリキ」であった。境内左奥の大木にまぎれもなく「ヤドリキ」が群れをなして宿っている!県内でこれだけの大きなヤドリキの宿る木は稀である。思わず見とれてしまう。

名言神社の境内にも万葉歌碑がある。勿論、黒牛潟を詠ったものである。
いにしへに 妹とわが見し ぬばたまの
             黒牛潟を 見ればさぶしも
                            (柿本人麻呂 巻9-1672)
ここで歌うことがお好きな山元先生が「これから歌います」と。そこで私(東)も一緒に歌わせていただくこととなった。この歌は作者は柿本人麻呂であるが、戦後まもなく、海南市出身の打垣内正先生が『万葉歌曲集』を出版され、一昨年、紀伊万葉ネットワークから依頼があり、アリスの会と海南万葉の会で声楽家の西浦晴美さんにお願いし、CDに9曲を収めさせていただいた。東がCD制作担当者として何度も聞いており、好きな曲のひとつなので飛び入りでお願いすることに。あまり自信は無かったけれど・・・。

1-10.jpg

中言神社から山間の小道を歩くこと約5分で浄国寺へつく。
浄国寺には今年夏、地元の漆芸家の橋爪靖雄先生が数年をかけて漆塗の野草を制作し、須弥壇後方の両側の天井に張り付けるという大規模な工事を、今年8月に完成したばかりである。
事前に橋爪先生にお願いし浄国寺の了解をいただき、この会で拝観させていただくことになった。本邦初公開である。

1-11.jpg

春夏の野草群が右側の部屋の天井に、秋冬の野草が左側の部屋の天井にびっしりと並ぶ。中央部には星座が配置されている。一つの作品でもかなり大きいが天井にこれだけ並ぶと壮観である。
参加者たちから口々に「うわー、凄い!」という声が出た。まさに芸術作品だと感じる瞬間であった。
見とれているうちに時間が容赦なくすぎていく。もっと見たいと思う気持ちを振り切って、先生と寺のご坊さん、奥様にお礼を言って寺をあとにする。
この日の参加者は決して多いと言えなかったが、参加された方たちから、「貴重なものを見せていただきました。本当に有難うございました」とお礼を言っていただき、こちらもこのウオークを開催して良かったと感じることができた。

この後、県立漆器会館を見学し、県立自然博物館で学芸員の内藤さんから海南の花のお話をお聞きし、待っていた貸切バスで和歌浦へ。玉津島神社で語り部の堀畑登さんのお話をお聞きし、昼食のあと、万葉館へ移動しミュージカル“小栗判官”の会場へと向かった。


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
10:22:22
120305.jpg

珍しい花を見つけたのでしょうか?馬場先生もニッコリ。

この辺りは海南市内でも歴史が幾重にも重なる地である。古くは神武天皇が東征の折、土地の豪族名草戸畔が反抗し、殺されたことが『日本書紀』に記載される。その地は「蜘蛛池」であると地元では伝えている。蜘蛛池のある山から黒江坂へは峯続きとなっている。

さかえ通りから黒江へ抜ける山裾の道にも自然の草花が多く生育している。近代、道路建設により、自然の生態系に異変がみられ、外来の草花が多くなったが、幸いこの周辺は山に囲まれており、日本の草花が多く残っている。
 馬場、山元両先生は水を得た魚のごとく、次々とお話が湧いてくるようだ。路地を抜けると黒江の漆器の町並み、川端どおりに出る。

1-6.jpg

黒江の作り酒屋さんの駐車場の一角に万葉歌碑が数基並ぶ

酒蔵資料館の前から道路を隔てた駐車場奥の一角に、黒江周辺を詠んだ万葉の歌碑が9枚並んでいる。
これだけでも海南市には万葉歌が多いと感じるが、これ以外にもあるというからすごい!と、いまさらながら感動を覚える。
これらの万葉歌と故地をもっと多くの人に知っていただきたいと願う。
今日、参加された人の中には海南市在住の人が数人おられた。
「地元にいて何も知らなかった。海南市の新しい面を認識しました」と。市外の人たちにとっても新しい和歌山の発見であったようだ。

1-7.jpg

お隣にひときわ大きな歌碑がある。「黒牛潟 潮干の浦を 紅の 玉藻裾引き 行くは誰が妻 (作者不詳 巻9-1672) 孝書」と刻まれている。犬養 孝氏の親筆である。

1-8.jpg

黒牛潟の万葉歌碑群をあとに、狭い路地裏の道を山に向かいすぐ右手に折れ、約百㍍の所、山裾に中言神社が建つ。
万葉時代、この辺りは入り江で、海中に大きな黒い岩があり、その様子が黒い牛に似ていたことから黒牛潟の名で呼ばれていた。嵯峨天皇の時代に八王子命を祀ったことがこの社の創建と伝わる。神と人との中をとりもつことが中言神社の名の由来だそうだ。
 ヤマト王朝時代以降、大嘗祭(おおにえのまつり)では天皇と神々が供食し秋の稲穂の収穫を祝った。天皇と神社との間で天皇から奉納があり、共に収穫を祝う祭りは相嘗祭り(あいなめのまつり)と呼ばれた。 
 祭神は名草彦命と名草姫命となっている。伝説によれば名草戸畔の終盤の地がこの近くの蜘蛛池であり、この黒江坂とは峯続きとなっている。名草戸畔は女性との説があるが、ここでは夫婦の縁結びの神として信仰を集めている。


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
10:15:59
東先生より、今年のウォーク万葉の活動報告が届きましたので、
記事にさせて頂きます(#^.^#)

1-1.jpg

10月20日、海南万葉の会と劇団KCM、2012有間皇子まつり実行委員会共催による「ウオーク万葉&ミュージカル“小栗判官ものがたり”」の開催日です。幸い、前日までの台風予報が外れ、朝から快晴となりました。

午前8時30分、JR海南駅をスタートし、ここから海南市内の歴史と万葉歌碑を巡って歩く。
この日の講師は紀伊風土記の丘の山元晃先生と信愛高校の馬場吉久先生、スタッフは土佐会長、唐津麻さん、井田さん、堀畑さん、井上さん、山縣さん、井上さん、東の8名。参加者は約30名。
皆さん「今日がどんなお話が聞けるかな」と興味津々だ。朝日をあびて元気に歩き始めた。

1-2.jpg

まずは柿本神社へ。JRの高架下をくぐると叢林を背景に鳥居とまっすぐに伸びた石段が目に入る。石段の上に本殿があるというシンプルかつ古代の雰囲気を残す神社だ。
この日のために宮司さんが出迎えて下さる。
この社の起源は大変古く、崇神天皇の皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が天照大神の御霊を守り、伊勢神宮に鎮座されるまで全国各地を巡られた折、紀伊国では『倭姫命世紀』によれば吉備名方の濱の宮に4年間鎮座されたとの記載がある。はじめ海南駅の東側あたりにあったが高潮や津波の被害があり現在地に遷座した。主祭神に天照大神、相殿神に素戔鳴命、熊野久須毘命、市杵嶋命を祀っている。

1-3.jpg

一行は講師先生がたから、この森に古代から日本に生育していた多くの植物と、まつわる話をお聞きする。
ハギ、オミナエシは今が花の盛り。他にもクズ、コウヤボウキ、ナツフジなど、自然林でなければ見られない万葉植物が多い。車の交通量の多い市街地にあって、いまも自然林が残る貴重な地だと感じる。
馬場先生、山元先生のお話にも熱がはいる。参加者たちは初めて聞く古代の草花の名前に、ただただ感心するばかりである。

柿本神社をあとにし、昭和の初めごろ栄えた「さかえ通り」を歩く。戦後の日本経済の発展とともに、この商店街には多くの店が立ち並び、賑わった。黒江の漆器の町へと続く道でもある。今は殆どの店が大型スーパーの近くに移転し、まるでゴーストタウンであるが、生活道としての名残が残り、昭和を生きた者には懐かしい記憶がよみがえる路地である。
 
1-4.jpg

路地の中ほどに「右、くまの・・・」の石碑と、少し離れて「左きみいでら」の大きな石碑が立つ。
・・・は多分「街道」であったと思われる。近世の熊野街道か、或いは古代の熊野古道の標識なのか?
いにしえ、多くの皇族たちの詠んだ黒牛潟の万葉歌が残されていることから、古道であった可能性も否定できない。 
ここから山裾の道を黒江へ向かう。道沿いには白い漆喰壁に日本瓦葺、弁柄格子風を残す日本家屋など、雰囲気のある家々が並ぶ。


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
06:37:07
③オミナエシです。秋の花ですが万葉の丘では
 初夏から花をつけいまでは少し盛りを過ぎてしまいました。(撮影は7月20日)

     08175.jpg

女郎花(をみなえし) 咲たる野辺を 行きめぐり 君を思い出 たもとほり来ぬ

            (巻17-3944 大伴池主)
              
「女郎花の咲いている野辺を行きめぐって、君を思いながらあちこちさまよいまわって来ました。」

 万葉集には恋の歌が多いですね。いにしえの人々はロマンチストだったのですね。

④ケイトウ(からあゐ)は夏の野山に欠かせない花です。万葉時代にはうつし染めで染料としたようです。
 春に種をまいたケイトウが育ち、万葉の丘にもわが家の庭にも咲きました。

    08176.jpg

 秋さらば うつしもせむと わが蒔きし 韓藍(からあゐ)の花を 誰か摘みけむ  (巻7-1362)

「秋になったらうつし染めにしょうと思って 私が蒔いた鶏頭の花
(後には妻にようと心にかけた女性)を誰が摘みとってしまったのだろう。」

     08173.jpg

いつも草刈を手伝ってくださる井上さん、この日も雑草を機会で簡単にきれいにして下さいました。
市川さんは暑い中、毎週のように草ぬきに来てくれます。
他にも井田さん、平松さん。本当に有難いです。皆さんのお蔭でなんとか万葉園の草花や木が育っています。

                                  東  道



Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
06:28:06
東先生より、万葉の丘だよりが届きました(^_^)/

「暑さに耐えてけなげに咲く花たち」

一昨年から万葉の草花や木を植え始めた「万葉の丘」では、万葉ゆかりの花や木が少しずつ増えています。
春には「沙羅双樹」の木に白い花がたくさん咲きました。
初夏にはアジサイ、キキョウ、ハマユウ、セリなど次々と花を咲かせて楽しませてくれました。
常緑樹のコノテガシワ、センダン(あふち)も元気に育っています。
今年の夏、暑さに耐えて咲くを紹介します。
  
        08171.jpg

①万葉集ではヌバタマと詠まれるヒオウギは植物園のまん中に陣取っています。

        08174.jpg

写真1は万葉の丘の開きはじめのヒオウギと、2が我が家の庭に咲いたヒオウギ。
やはり万葉の丘に咲く花は色がきれいですね。

ぬばたまの 黒髪かはりしらけても  いたき恋には  あふ時ありけり
         
                     (巻 4-573 沙弥満誓(さみまんぜい))

意味は「黒髪が変わって白髪となっても 心の痛い恋にあう時がありましたなあ」だそうです。
       
         08172.jpg

②セリは戦後の貴重な食料でした。
 万葉時代の花の多くは食用に染色にまた薬剤として暮しに欠かせなかったのです。  
 一部、毒薬もありますが、祖父母から聞いた話は貴重です。

あかねさす 昼は田賜(たた)びて  ぬばたまの 夜の暇(いとま)に  採(つ)める芹これ     

    (巻20-4455  葛城王(かづらきのおほきみ))

「昼は田を班ち与える仕事について、漆黒の夜に摘んだ芹ですよ、これは」


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
10:47:05
    縺頑焔邇雲convert_20120612102058

健康で長寿を保つ秘訣はまず笑って暮らすこと、と板倉先生のお話ですが、

頭と身体を動かすことも勿論良いそうです。次の登場はお手玉グループの方たちです。

    06125.jpg
 
今回、贈呈して頂いたKCMの東と「あすなろ共同作業所」の山添さん、支部代表の板倉先生たちと同
じテーブルで、暖かい雰囲気の中、交流を深めさせていただきました。

次々と部会の発表があり、楽しくて時間の立つのを忘れるほどでした。
この日の記念にと板倉先生にお願いして写真を撮らせていただきました。

    06122.jpg

この日初めてお逢いした会員さん達と仲良くなり、写真をとらせて頂きました。
社交ダンスがとてもお上手な会員さんです。

「新老人の会」の皆さま、本当に有難うございました。
来年1月14日、和歌山市民会館内、市民ホールで「葉っぱのフレディ―いのちの旅―」を公演します。
是非、観にいらして下さい。お待ちしています。


                      東  道


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
10:42:05
   06126.jpg

昼食会のあとの親睦会では、会員さんたちの芸能発表会がありました。まずはコーラス部です。

ご覧のとおりの大人数で、板倉先生の指揮のもと、美しい歌声を披露していただきました。

   06127.jpg

続いては社交ダンス部です。踊っておられる方にあとでお歳を聞いてびっくり、

年齢を感じさせないリズム感と姿勢の良さです。

   06128.jpg

芸能披露はまだまだ続きます。腹話術は手作りの人形がとても可愛いくて、

お孫さんとお話しているような錯覚を感じました。


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
10:38:19
先日、劇団代表の東先生が「新老人の会」さまの活動支援贈呈式に出席されました!!
式の写真とコメントが届きましたので、公開致します(^_^)/

06123.jpg

「新老人の会」から活動支援贈呈式に参加しました。

 去る6月2日、「新老人の会」和歌山支部(代表 板倉 徹氏)の第4回総会の場で、地域で活動
する団体への活動支援金の贈呈式があり、「劇団KCM」と海南市阪井の「あすなろ共同作業所」
(施設長 山添高道氏)の2団体が選ばれ、劇団KCMから東が参加させていただきました。

  今年の支援団体に劇団KCMが選ばれその理由は「葉っぱのフレディ」なんです。
  昨年から通算5回、Ri-yaの演出で公演を続けた「葉っぱのフレディ」は、原作を始めて絵本と
して翻訳されたのは日野原重明さんです。翻訳だけでなく各地でミュージカル公演し、ニューヨークでも
公演をされました。
  この日野原重明氏、実は「新老人の会」の会長さんなのです。
  今年、3月3日、海南市民交流センターで海南市教育委員会主催で劇団KCMが「葉っぱのフレディ」
公演をした時、「新老人の会」和歌山支部の事務局長の神谷尚孝さんが観劇にこられました。
  アマチュア劇団のKCMがそのような全国的な組織の会からご支援をいただくということが、最初は信じ
られない気持ちでしたが、その後、何度か神谷さんから連絡をいただき、徐々に実感がわいてきました。
 
  それでは会場を探さなくてはと思い、来年1月14日、和歌山市民会館内の市民ホールの予約がとれ
ました。10月の小栗判官公演が終わるとすぐに「葉っぱのフレディ」の稽古に入ります。
 劇団員の皆さん、今年から来年にかけて公演が続きます。頑張りましょう!!

  この日は総会と贈呈式のあと、支部代表で県立和歌山医科大学学長の板倉 徹先生の講演がありました。
「笑う脳・元気な脳」という演題のお話は大変わかりやすい内容でした。高齢者がどうすれば元気で長生き
できるかということを、パソコンスクリーンを使ってユーモアをまじえてお話いただきました。



Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
01:27:52
    3人

柿本神社の境内は今も自然林に守られ、万葉歌ゆかりの樹木が生育しています。
この日同行の3人のショットです。
土佐先生はこの時下の道を歩いていましたので写っていませんが。

 このあと黒江へ戻り、県立博物館で学芸員の内藤さんにお逢いし、
毎月交代で海南の植物を展示していることをお聞きしました。

館の入り口付近に、黒江の民家の屋根の上に生育している
珍しい植物があることを教えていただきました。そのお話は次の機会に・・・。 
                                
    万葉館

 その後、万葉館へ行って舞台の下見をしてきました。
万葉の歌の上の句と下の句を合わせる“万葉かるた”コーナーがあったので、合わせてみました。

全て正解と馬場先生に云っていただいたので、
嬉しくなってVのポーズを撮っていただきました!!

                              東   道


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
01:22:11
    右くま

 子供時代、母親に手をひかれ「栄どうり」を通って海南名物の
『下駄市』につれて行ってもらうのが楽しみでした。

戦後の何もない時代、祭の華やかさが幼い頃の思い出です。
海南市の高齢者の皆さま、懐かしい路地がここに残っていますよ。

「右くまの・・」それから下の文字が地中に埋まって見えません。
ここは古(いにしえ)の熊野街道であったのです。
近所の女性が出てこられ馬場先生に話しかけてこられ、この通りが昔栄えた
「栄どおり」であったことを私たちにも説明して下さいました。

   柿本

柿本神社は海南駅から約1キロ、線路に沿った道路を歩き、高架をくぐったところに鎮座しています。
かつて多くのお店が立ち並び賑やかだった商店街が今は殆どが駅前周辺に移転し、
往時を偲ぶことは出来ませんが、叢林に覆われた地に神社だけが
時が止まったかのような佇まいで残っています。

伊勢部柿本神社という名称のこの社の主祭神は天照大神で、相殿神として素戔嗚尊、
熊野久洲毘命、市杵嶋姫命、事代主命(恵比須神社)を祀っています。

創建の由来は第10代崇神天皇の時代、豊鍬入(とよすきいり)姫命が
天照大神の御霊代の鎮座する地を求めて各地を巡行された際、崇神54年(世紀前44年)
吉備の名方の浜の宮に鎮座されたとされ、『紀伊続風土記』などによれば、
現在の海南駅の東の名高のいびきの森で、大神宮遺跡という石碑があり、
その地は津波の恐れがあったのでいつの頃か近くで安全なこの日方の東山に遷座したそうです。

秀吉の紀州征伐により焼失したが慶長9年再建された。
日方浦の海運が盛んであった徳川時代、海上安全を祈願して奉納された千石船の
模型と廻船の絵馬6面、燈籠2対が県文化財に指定されています。


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
01:15:50
東先生より、万葉ウォークの写真の投稿がありましたので
記事にさせて頂きました(*^^)v

   黒牛

海南・万葉の会、劇団KCM、有間皇子まつり実行委員会共催の万葉ウオークが今年で3回目となります。
「ウオーク万葉・花紀行&ミュージカル「小栗判官ものがたり」公演の予定です。
10月20日、海南市内の万葉故地を歩き、和歌浦万葉館でミュージカル公演の予定です。

4月22日(日)、ウオークコースの下見のため、海南・万葉の会会長の土佐先生、講師の馬場吉久先生、
万葉の会の市川康子さん、そして劇団から有本さんと東が予定コースを周りました。

 この日は大雨、強風注意報が発令の為、ウオークは諦めて車での移動となりましたが、
途中で雨がやみ、黒江の黒牛潟の万葉歌碑を起点に、昔懐かしい『栄どおり商店街』を見て、
一旦柿本神社に戻り、県立博物館、和歌浦万葉館まで無事に周ることができました。

珍しい万葉歌に登場する植物をあちこちで発見できて収穫の多い1日でした。
 写真上は黒牛潟の万葉歌碑です。地元酒蔵の名手源さんの駐車場内にあります。

 〝いにしへに 妹とわが見し ぬばたまの 黒牛潟を見れば さぶしも”

柿本人麻呂作。2009年3月、紀伊万葉NWで作成のCD『打垣内正歌曲集』に
西浦晴美さんの歌で収録されています。
CDのお問い合わせは東まで(073-478-2711)。

     中言

歌碑の近くの中言神社です。
説明板によれば万葉時代、この辺りは入り江で、海中に大きな黒い岩があり、
その様子が黒い牛に似ているので『黒牛潟』と呼ばれるようになったと書かれています。

嵯峨天皇の御代、弘仁2年(613)この小高い丘に八王子命を祀り鎮守の神としたのが始まりだとか。
その後、名草彦命と名草媛命を祀り、縁結び、子供の成長を守り、陰陽和合の神様として親しまれいます。

神と人との中を執りもつことから中言神社の名で呼ばれるそうです。
(言とは言霊(ことだま)、言葉(ことのは)の語源で、太古には常世国(とこよのくに)から
神が幸運を持ってくると信じられていました。

神と天皇が秋の収穫を祝う宴が新嘗祭(にいなめさい)として伝わり、
神と人との宴は相嘗祭(あいなめさい)と呼ばれ現代に伝わっています。(折口信夫「古代研究」より)


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
00:15:41

【仏井戸】

井戸の底に仏像が3体祀られており、仏井戸と呼ばれる。

今は国道脇であるが、ここは古くは小栗街道で、この仏井戸の辺が上野王子の旧跡で、

井戸の中の仏像は上野王子の本地仏という。

男性がこの仏様に願をかけ、叶うとお礼に鉄の小さな鳥居を立てたらしい。

かつては多くの鳥居があったが今は野仏や石碑が並ぶのみ。

【※本地仏とは神仏習合の時代、熊野権現は仏が権に神の姿で現れたと説き、

神社内に祀られている仏像のことを云う。熊野三山にもそれぞれの本地仏が祀られている。】
   
    叶

【津井王子】

叶王子とも。この日はとても暑くて、上着を1枚また1枚と脱ぎ、3枚ぬいでTシャツで歩ことに。

この辺りにはコンビニがなく、トイレ休憩ができずに黙々と歩くこと数キロ、

やがて右手に御坊高専の綺麗な建物が目にはいり、何とかお願いしてトイレ休憩させていただく。

さらに歩くこと数キロ、やがて右手に漁船が並ぶ印南港が見え、左山手の津井王子に着いた。

桜が満開の下にニラの花が咲き、スミレが咲き、やっと熊野古道らしい道に辿りついた感じです。

津井王子の旧跡はここから西へ約1キロの地にあったがさびれていたので、

現在の印南町の法華堂(観音堂)へ移したので、観音さんと王子が一つになっていつしか

「かのうおうじ」と呼ばれるようになった。ここから印南駅まで約1キロ。


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
00:10:33
   13.jpg

【13塚】

 古道は国道42号線と交差しながら続いている。

安珍清姫で有名な清姫が草履を松の枝にかけ裸足で走ったという「清姫草履塚」を通り、

再び国道に出て、出羽合山の修験の山伏たちが阿波の海賊に襲われ

13人が殺されたのを地元の人たちが哀れんで埋葬したと伝わる

「13塚」に手を合わせ、さらに南へむかう。
   
   広畑

【広畑2号墳】

近くの小学校からお昼のチャイムが聞こえてくると急に空腹感をおぼえ昼食の場所をさがすことに。

この辺りは紀伊路の中でも海岸沿いのコンクリート道が続き、暑くて木陰はどこにもない有様。

思いきって畑のあぜ道に入ると狭い道があり、なんとそこに古墳が・・・。

広畑1号墳があり、更に階段を上ると2号墳が見つかりました。

これまで熊野古道を通して歩くこと約7~8回。

このコースは10回以上は歩いている筈なのに、ここに古墳があるとは知らず、

一行の誰も知らず・・御坊市教育委員会様、PR不足ではないですか?


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
00:05:17
東先生より熊野古道の写真とお便りが届きましたのでご紹介します(^_^)/

「熊野古道歩こう会」は平成22年6月から〝大阪から本宮まで”を目指して
毎月1回木曜日に、熊野古道の王子社を巡ってあるいています。
4月5日(木)は御坊駅から、日本一短いといわれる紀州鉄道にのり、
最終の西御坊駅から日高川に架かる天田橋をわたり海岸沿いの近世の熊野街道ウオークです。
平均年齢65歳(70歳?)の参加者31名が印南駅までの約13キロのコースを全員元気に歩きました。

   カエル

【印南駅前の桜とカエル橋】

前日の嵐が嘘のような好天に恵まれ、歩くと汗ばむ陽気の1日でした。

到着地点の印南駅で私たちを迎えてくれた桜の美しさに感動です。カエル橋のカエルの親子

(上の黄色いカエルが子供で赤い大きいカエルが親ガエルだそうです)も微笑んでくれている気がしました。

   高光寺

【光専寺のビャクシン】

美人王子として有名な塩屋王子から近世の雰囲気の残る町並みを歩くこと約1キロ、

左手に光専寺があり、樹齢500年と伝わるビャクシンの木が塀から出すようにそびえ立つ。

幹も太く、熊野街道の歴史の証言者としての貫禄十分。



Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
08:14:05

東先生より、春のたよりが届きました(^^♪

   tukusi.jpg

春ですね! ツクシがこんなに沢山!!

 先週、家の前のみかん畑にこんなに沢山のツクシをみつけました。

 ホントはもっと前から芽がでていたのでしょうね?

 少しだけいただいて、袴をとりながら数えると140本もありました。

 サットゆがいてジャコを加えて、味醂とお醤油で煮て、佃煮にしていただきました。
   
   neko1.jpg
 
 まだまだツクシは数えきれないほど沢山畑に残っていましたが、
 
 袴をとるのが大変なので諦めて帰りました。
 
 我が家の猫のミャオがお手伝いに現れましたが、

 ツクシには全く興味がないようです。

                    東  道


Parent category:劇団員の日常 Category:東先生よりコメント:0│ トラックバック :--
00:53:05
東先生からわくわくルームの写真とたよりが届きましたので
記事にしました(^O^)/

   

南野上公民館、わくわくルームに珍しいお客が・・・

これまで、東から谷口さんへ、そして西さんへと、なぜか劇団KCMのメンバーが南野上小学校の「わくわくルーム」を担当してきましたが、今月から再び東が復帰し、西さんと二人で受け持つことになりました。全校生徒約30名ほどですが、「わくわくルーム」には20名近くの生徒が参加し、公民館のホールが狭く感じるほどです。上級生男子は外で、低学年女子は部屋のなかで遊びたいと主張し、担当者一人が体を二分するわけにいかず、孤軍奮闘していてきました。

そんな折、話が急展開し10月から担当者一人増えることになり、ほっとしたり、期待したりです。
さて、誰が担当者となるのでしょうか?

9月14日(水)、突然ですが、見覚えのある男子がやってきました。10月から担当するので下見にきたのだそうです。

えっ!まさか?そうです。託巳くんです。

子供たちは昨年のクリスマスに一緒に遊んだのでよく覚えています。それに今年7月、小学校で「大空への翼」に出たので、よーく覚えていました。宿題もそこそこに、託巳くんと遊びはじめました。

   9262.jpg

絵本を読んでいます。
最初「本なんか嫌い!」と云っていた子が、託巳先生が詠み始めると前にのりだして熱心に聞いていました。
それにしても大きな本ですね。

         9263.jpg

お兄ちゃん、遊んで!と子供たちが託巳先生の上にどんどん乗っていきます。さあ、何人乗れたかな?
このあと、男子は運動場へ行って鬼ごっご、をしていました。
託巳先生、お疲れ様でした。10月からも頑張ってね。

                      by 東 道

00:42:25
このあたりの古道は小栗街道とも呼ばれています。
途中、小栗判官の腰かけ石があり古道から狭い車道へ出ると、
神功皇后が御足を洗われたと伝わる川に洗足橋(せんぞくはし)の立札があります。
  
   974.jpg

洗足橋から数十㍍のところに「小栗判官×××」と書かれた立札を見つけました。
×××は文字が読み取れない状態でしたが、
かつて小栗判官がここを通ったのかと思うと、感慨ひとしおでした。

           975.jpg

松阪王子から蜘蛛池への古道は、いつもは草ぼうぼうで歩けないのですが、今日はきれいに草刈ができていて気持ち良く歩くことができました。(実は有本さんたちが前日刈って下さったそうです。さすが、有本さんですね。)

   976.jpg

松代王子の辺りで急に雨がひどくなってきたので、やむをえず、祓戸王子はとりやめて、旧野上鉄道道をとおり海南駅へむかい、解散しました。今日のウオーク歩数は14000歩、距離にして9,5キロでした。

プロフィール

KCM company

Author:KCM company
劇団KCMは・・・

2010年6月に海南市の市民劇団『KCM』として創立。
同年11月に海南市民会館にて『―万葉ロマン―有間皇子』で旗揚げ公演を行い。
翌年にはMusical『葉っぱのフレディ』―いのちの旅―を初演。
以後3年間にわたり8回の再演を行い好評を得ました。

2011年以降『小栗判官ものがたり』『いざわやそべえ』『和歌の浦のあけぼの―聖武天皇と宮子姫―』『なぐさとべ』『徐福』など、和歌山にゆかりのある人物をテーマにした作品をミュージカルで舞台化。

また同時に『赤毛のアン』『オズの魔法の国』『星のキセキ』『アラビアン*DreamStory』『ワンダーランド』『MAHOROBA』など、
ファミリー向けの作品で、年に何本かの学校公演も行っています。

今年で創立10周年となるKCM。現在も和歌山にゆかりのある作品を中心に海南市から発信できる舞台作りを目指してを活動しています。

★劇団KCMメンバー紹介★
☆公演ゲスト出演者紹介☆
☆劇団KCMのあゆみ☆
KCM rogoA 180
最新コメント
月別アーカイブ
★Diaryカテゴリー★
★KCM Diary 訪問者数★
ご訪問ありがとうございます!!
人目のお客さまです☆ ブログは日々更新中です!! ごゆっくりお楽しみ下さい☆
劇団員募集中!!
集合2
劇団KCMでは、随時劇団員を募集しています。  舞台経験は問いません! 高校生以上の健全な男女。 お芝居や歌、ダンス、また舞台がお好きな方、海南市に興味をお持ちの方等など沢山の方のご参加お待ちしています♪ 詳しくはkcmcompany2010@gmail.comまでお問い合わせ下さい。       
☆KCMチャンネル☆
YouTube始めました!! “かいなん探検隊”配信中(^_^) チャンネル登録よろしくね♪
youtubelogo_650_convert_20200902162135.jpg
KCMチャンネル♪
KCMcompany Facebook
Facebookのページはこちらから… いいね!してフォローして下さい(*^_^*)
KCMcompany Facebook
最新記事
☆記事を検索☆
キーワードを入力すると、 ブログ内の記事を検索できます(@^^)/
BLOG★RANKING

FC2Blog Ranking

ランキングに参加しています                   1クリックお願いします♪
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
1286位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
演劇
78位
アクセスランキングを見る>>
KCMカレンダー
08 | 2020/09 | 10
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
QRコード
QR
携帯からもアクセスできます♪             カメラで読み取って下さい(*^^)
リンク
このブログをリンクに追加する
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる